
2015年02月27日
神の島
がんじゅやろるんねーらー(=゚ω゚)ノ
今日は豆腐ように初挑戦します!
ちむどんどん(*>∀<)ノ))

パクッもぐもぐ
おぉ…泡盛の香りがふぁーっときて濃厚な舌触り…
香りは奈良漬けに近いかも?
珍味!!!
最近ボーッとすると島の風景が脳裏をよぎります。
行きたいよー(´;ω;`)
サイクリングして

貸切のコンドイ浜行って

西桟橋で夕陽見たいです!!


夕陽って写真に撮るとなんでこんなに陽が小さくなるんだろう…(T_T)
竹富島は神の島とも言われています。
コンドイ浜の名前の由来も、竹富島の神さまのひとり、コントゥフシンガーラ(コントゥ)からと言われています(諸説あり)。

自転車であっという間に一周出来るこの島には28の御嶽があります。
主要な御嶽で、島の人々に「ムーヤマ」(六山、六嶽)と呼ばれているのが、
波座間御嶽、仲筋御嶽、幸本御嶽、久間原御嶽、花城御嶽、波利若御嶽。
国仲根所は
沖縄本島の首里の園比屋武御嶽の分祀拝所で、西塘御嶽は国仲根所をもたらした西塘を祀っています。
清明御嶽と東パイザーシ御嶽は島造りにまつわる拝所。
美崎御嶽、東美崎御嶽、西美崎御嶽、親泊御嶽、肝合掌御嶽、島布御嶽、宇根御嶽は、海、旅、造船、船頭などにまつわる拝所。
世持御嶽は、村の火の神と農耕の神を祀ったもので諸々の神が集う場所で、種子取祭の奉納芸能が執り行われる御嶽。
皆治御嶽は鍛冶の神にまつわる拝所。
アールマイ御嶽は火の神と動物にまつわる拝所。
牛ヌ御嶽は牛馬にまつわる拝所。
真知御嶽マートの大者。
埴山御嶽は病魔祓い。
シユウラムイ御嶽は子孫繁栄。
白金御嶽は築城にまつわる拝所。
ニーラン御嶽とニーウスイ御嶽は作物の種子をもたらしたニーラン神迎えにかかわる拝所。
ブサシ御嶽は仲筋御嶽の元地としての意味があります。
色々な神様と御嶽があるんですね!
竹富島の道も風水に基づいて少しだけ曲がっています。
魔物は真っ直ぐしか進めないので道を曲げる事によって通りにくくするんですね!
集落は考えられて作られてるんですね。
島民は昔ながらの町並みや文化を保存しようとする意識が非常に高く、1986(昭和61)年に「妻籠宿を守る住民憲章」などを参考とした「竹富島憲章」を制定しています。
竹富島憲章は「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」の島を守るための4原則と、伝統文化と自然・文化的景観を観光資源として「生かす」を加えた基本5原則をはじめ、島の伝統文化を大切にする精神や来島者を接遇する際の心構えなどが謳われています。
例えば、
新しく家を建てる場合は必ず許可を得た上で、平屋の赤瓦の家(カーラヤー)を建てなければならない。ただし、赤瓦を葺く場合は補助金が支給される。
窓ガラス等は見えにくいようにすだれなどで隠す。
建物の外に看板などを露出させることは原則禁止。
大規模リゾート開発を目的とした土地買収には応じない。
珊瑚を砕いた白砂の道は、住民の毎朝の掃除によって美しい状態に維持されている。
また白砂はアスファルトと違い、雨や台風が来るたびに、少しずつ海に流れていってしまう。そのため、住民は砂浜で白砂を集めてきて、定期的に道を補修する、などがあります。
島民の方々の努力があって綺麗な島が昔のまま残っているのですね…!
竹富島で話される伝統的な言葉は「テードゥンムニ」と呼ばれ、八重山方言に属しています。テードゥンムニを含め八重山方言を日常で使う人は少なくなっており、ユネスコから2009(平成21)年に「消滅の危機に瀕した言語」に認定されました。
「竹富方言辞典」にある
ムニバッキター(言葉を忘れたら)
シマバッキ (生まれ島をも忘れ)
シマバッキター(生まれ島を忘れたら)
ウヤバッキルン(親までも忘れる)
という言葉が印象的です。
ずっとそのまま維持出来るのが一番ですが、時代と共に世代交代して忘れられるものもあれば、便利に観光地化されるものも出てくるんでしょうね…
ずっとそのままがいいです…(´;ω;`)
だからこそ観光する側もゴミを持ち帰るとか竹富島は石垣島から水をひいているので水が豊富ではないので節水するとかあまり騒がないとか気をつけなきゃいけないですね。
また行きます!!(・`ω・)
みーはいゆー(*>∀<)ノ))
Posted by 沖縄宝島ららぽーと横浜店 at 22:52│Comments(0)
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