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2015年02月20日
果てのうるま
朝の天候を見ながら決めようと思っていた予定。
買い物をするか
未知の離島に行くか
しかし、既に買い物は竹富島でもガーデンパナでもYururuでもしました。
それに折角八重山まで来たのに行ったことある島だけでいいのだろうか。
八重山は制覇したい。
と、自問自答をしていました。
小浜は…リゾートで広いから泊りがいい
鳩間は…フェリーの時間合わない
新城は…一日ツアーしかないから飛行機に間に合わない
波照間は…滞在3時間くらいだけど行けなくはない…
海は…荒れていない…
波照間の海域は荒れやすいので帰って来れるかは賭けだけど…
行きたい!
ということで、パティローマ(*>∀<)ノ))
どこを撮ってもさとうきび畑!!
ついでにヒージャーも!
のどかですねー
そして波照間島といえば…
日本最南端の有人島です。
沖縄返還前の1970年、北海道から日本縦断の旅を敢行した学生が旅の終着点として到達した当時にアルバイトで稼いだ費用を投じて建設した記念碑。
1995年に竹富町が終戦50年を記念して建立した石碑。
何も遮るものがなくてとっても気持ちいい場所でした!
あっちの方にきっとパイパティローマが…!
波照間之碑。
47都道府県から石を集めて作った絡み合った蛇のような形のオブジェ。
もう二度と戦争によって内地と離ればなれになってしまわないように、との願いが込められています。
場所は飛びますが、
波照間小学校の外壁には「星になったこどもたち」という歌が書かれています。
太平洋戦争末期、波照間島の住民の避難先だった西表島の南風見は、マラリアが猛威をふるっていた地域でした。
そこに移った住民は、次々マラリアで倒れ、波照間島の全人口の3分の1が犠牲になり、全学童323名中66名が亡くなりました。
八重山全体では3600名が犠牲になったと言われています。
この歌は、食べ物も治療薬も無い中で、次々とマラリアにかかって亡くなっていった子供達のことを歌った鎮魂歌です。
かなりストレートな歌詞で心が痛みます。
なんだか悲しい気分になってきました。
こんなに自然の綺麗な場所なので、ずっと平和であってほしいです。
さて、気を取り直して天文台へ!
Posted by 沖縄宝島ららぽーと横浜店 at 11:09│Comments(0)
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